よきおとずれをシオンに伝える者よ、 高い山にのぼれ。 よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、 強く声をあげよ、 声をあげて恐れるな。 ユダのもろもろの町に言え、 「あなたがたの神を見よ」と。
見よ、神はわが救である。 わたしは信頼して恐れることはない。 主なる神はわが力、わが歌であり、 わが救となられたからである」。
その日、人は言う、「見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちはその救を喜び楽しもう」と。
また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。
主なる神の霊がわたしに臨んだ。 これは主がわたしに油を注いで、 貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、 わたしをつかわして心のいためる者をいやし、 捕われ人に放免を告げ、 縛られている者に解放を告げ、
しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。
確かに偉大なのは、この信心の奥義である、 「キリストは肉において現れ、 霊において義とせられ、 御使たちに見られ、 諸国民の間に伝えられ、 世界の中で信じられ、 栄光のうちに天に上げられた」。
しかしわたしは言う、彼らには聞えなかったのであろうか。否、むしろ 「その声は全地にひびきわたり、 その言葉は世界のはてにまで及んだ」。
主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。
人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、
そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。 「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。
「レバノンに登って呼ばわり、 バシャンにあなたの声をあげ、 アバリムから呼ばわれ。 あなたの愛する者がみな滅ぼされるからだ。
見よ、あなたがたの断食するのは、 ただ争いと、いさかいのため、 また悪のこぶしをもって人を打つためだ。 きょう、あなたがたのなす断食は、 その声を上に聞えさせるものではない。
「わたしこそあなたを慰める者だ。 あなたは何者なれば、死ぬべき人を恐れ、 草のようになるべき人の子を恐れるのか。
義を知る者よ、 心のうちにわが律法をたもつ者よ、わたしに聞け。 人のそしりを恐れてはならない、 彼らのののしりに驚いてはならない。
わたしははじめてこれをシオンに告げた。 わたしは、よきおとずれを伝える者を エルサレムに与える。
時にアビヤはエフライムの山地にあるゼマライム山の上に立って言った、「ヤラベアムおよびイスラエルの人々よ皆聞け。
このことをヨタムに告げる者があったので、ヨタムは行ってゲリジム山の頂に立ち、大声に叫んで彼らに言った、「シケムの人々よ、わたしに聞きなさい。そうすれば神はあなたがたに聞かれるでしょう。
アモツの子イザヤがユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世にユダとエルサレムについて見た幻。
さかんに花咲き、 かつ喜び楽しみ、かつ歌う。 これにレバノンの栄えが与えられ、 カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。 彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る。
わたしは、わがしもべの言葉を遂げさせ、 わが使の計りごとを成らせ、 エルサレムについては、 『これは民の住む所となる』と言い、 ユダのもろもろの町については、 『ふたたび建てられる、 わたしはその荒れ跡を興そう』と言い、
主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
見よ、良きおとずれを伝える者の足は山の上にある。 彼は平安を宣べている。 ユダよ、あなたの祭を行い、 あなたの誓願をはたせ。 よこしまな者は重ねて、 あなたに向かって攻めてこないからである。 彼は全く断たれる。
それゆえ、わが民はわが名を知るにいたる。その日には彼らはこの言葉を語る者がわたしであることを知る。わたしはここにおる」。